はづれぐさ

“はずる”シリーズ(旧キャストパズル)を中心に、感想・よしなしごとを書くブログ

キャストドルチェ/CAST DOLCE 感想

“はずる”シリーズより、キャストドルチェについて書きます。
大きなヒント・ネタバレを含む部分はクリックしないと見えないように隠しますが、まっさらな状態で取り組みたい場合は読むのをご遠慮ください。


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キャストドルチェ CAST DOLCE
評価:★★★★★☆
デザイナー:Akio Yamamoto
発売年  :2002年

公式難易度:★★★☆☆☆
体感難易度:★★★☆☆☆
クリア時間:外すのに15分、戻すのに18分

 

紀元前、夜空を見上げるのは実益と趣味を兼ね備えた行為でした。星の巡りからは季節や方角が分かるし、星々を線で繋いでなにかに見立てるのはサイコーに面白い娯楽でした。人々は、不規則な「惑う」動きをする妙な星――惑星の存在にも気づき、それらは多くの文明で信仰の対象になりました。
古代ギリシアにおいては、火星は戦の神アーレスの、金星は美の女神アフロディーテの象徴でした。さらにローマ神話では、アーレスはマールス、アフロディーテウェヌスと同一視され、これが今も使われる火星(Mars)と金星(Venus)の英語名の由来となりました。
♂と♀の記号は、この壮大な連想ゲームの過程で生まれたものです。♂はマールスの槍と盾を、♀はウェヌスの手鏡を象ったものとする説が有名ですが、フランスの古典学者サルマシウスは、古代ギリシアで火星を意味したΘουροσ*1、金星を意味したΦωσφόρος*2という語の略字が元になったと説いています。
現在と同じ形になったのがいつ頃なのかは判然としませんが、♂と♀は、火星と金星を表す惑星記号として、占星術の分野で広く使われるようになります。また、惑星は主要な金属と結びつけて考えられていたため、♂は鉄、♀は銅を示すものとなり、錬金術でも用いられました。二つの技術はイスラム世界での発展を経て、ルネサンス期のヨーロッパで花開きました。
そして18世紀。スウェーデン博物学者カール・フォン・リンネによって、♂と♀は大きな転換点を迎えます。彼は植物の雄株、雌株を表す記号として、このマークを採用したのです。偉大な学者であったリンネの発想は瞬く間に広がり、♂♀は性別記号としての地位を世界中で確立することになります。

舞台は、1984年の日本に移ります。この年、島根県匹見町で「匹見・木のパズルコンペティション」が始まりました。山林に囲まれた町が、地元の木材を活かした新たな事業として開催したものです。“はずる”シリーズの仕掛け人、芦ヶ原伸之を招待作家に迎えたコンペには、多様な才能が集まり、今も遊ばれる名作がいくつも生まれました。
コンペは隔年で開催され、1990年の第四回。島根県出身の造形家アキオ・ヤマモトが、パズルデビュー作となる「Strap parts」を出品します。これは二つのC環*3が、真四角の板を挟んで噛み合っているというパズルでした。
その後、アキオ氏は「Strap parts」の改良の過程で、C環の可動範囲を製図しているうちに、全体の輪郭がハート型になっていることに気づきます。真四角だった板はハート型にリデザインされ、合わせてC環にも♂♀マークの意匠が施され、全体として男女の恋愛をモチーフにしたパズルが完成しました。1992年にハナヤマよりキャストパズルとして発売し、現在も“はずる”シリーズにラインナップされている、キャストアムールです。
キャストパズルは、20世紀末から一大ブームを迎えます。これはちょうどガラケーの黎明と被る時期だったので、当然のようにキャストパズルも携帯ストラップとして売られることになります。基本的には初期のキャストパズルをそのまま小型化したものですが、アムールは事情が異なりました。*4多分、細い部分があるので、そのまま小さくするのは難しかったのでしょう。製造元の株式会社ハナヤマはアキオ氏に、「アムールからハートの板を取り除いた、♂♀だけの知恵の輪が出来ませんか」と持ち掛けます。こんなかぐや姫もびっくりの難題に、アキオ氏は応えてしまい、作り上げたのが「キャストストラップ スウィート」です。ネーミングは、恋人を意味するスウィートハートからハートを抜いたものでした。*5
小型化の要請から生まれたスウィートでしたが、アムールとはまったく異なる作品に仕上がったため、今度は逆に大きくして正式にキャストパズルに仲間入りさせようという話になります。2002年、アキオ氏は造形をより洗練し、スウィートを豪華にしたバージョン……すなわちドルチェを完成させました。

そう、キャストドルチェです。余談のフルコースを経て、ようやくメインディッシュ兼デザートが供されました。
“はずる”にはギミックありきの品と、デザインありきの品があります。例えばアムールはギミックありきな訳ですが、ドルチェはもう完全にデザインありきの知恵の輪です。パズルにされるだなんてちっとも聞かされていなかった、幾星霜を経て生まれた♂♀マークを無理やりひっ捕まえて、突然仕立て上げた知恵の輪です。
それなのに、この完成度はどういうことなんでしょうか。二つのパーツは♂と♀を模しているだけではなく、ちゃんと各部位にパズル上の意味があります。外すまでには程よいステップがあって、月並みですが恋模様に例えたくなります。*6
また、オブジェとしてもよく出来ています。金銀ツートンカラーの鏡面仕上げは、“はずる”によくある加工ですが、ドルチェは曲面の多い造形のおかげで光沢が出ていて、高級感があります。

ありとあらゆるものの背景には、途方もない歳月の積み重ねがあります。キャストドルチェもまた、数千年の月日に裏打ちされた存在です。
アキオ・ヤマモトが、ハナヤマの担当者が、芦ヶ原伸之が、匹見町の人々が、カール・フォン・リンネが、中世の技術師たちが、古代の吟遊詩人たちが居なければ、キャストドルチェは生まれませんでした。
この記事がドルチェの歴史に、少しでも花を添えられれば幸いです。

参考文献:
Stearn, William T. “The Origin of the Male and Female Symbols of Biology.” Taxon 11, no. 4 (1962): 109–13. 
芦ケ原信之 『パズルの宣教師 二コリ「パズル病棟日誌」総集編』 株式会社ニコリ 2005年

 

以下、解けない方向けのヒントです。

ヒント

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アキオ・ヤマモトさんのパズル全般の特徴ですが、非常に微妙な角度で隙間を通す場面があります。一方向に動かすのではなく、少しずつ向きを変えるような、柔らかな操作が大切です。
 

以下、ネタバレを含みます。解いてからご覧ください。

ネタバレあり感想

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このパズル、店頭の試遊コーナーに置かれているのを結構見ますが、途中の状態で放置されている率が高い気がします。♂♀のリングが噛み合えば、それでゴールだと思いがちなのかも。パッケージには、「男女の関係はいつの時代も難しい。凸凹をキチンとはめ合わせないといけない」と書かれていて、初期状態ではパーツの凸凹がぴったり組み合わさることが示されているのです。ただのちょっとアレなジョークじゃないんですよ。

*1:Θουροσは「荒ぶる」的な意味で、詩人ホメロスがアーレスの形容語句として用いました。形容語句というのは、キャラクターの名前の前に付く決まり文句みたいなものです。例えば「素晴らしきヒィッツカラルド」の「素晴らしき」の部分です。

*2:Φωσφόροςは「光をもたらすもの」的な意味で、つまり「明けの明星」を表す言葉です。

*3:Cの文字のように、一ヶ所だけ欠けたリングのことです。

*4:キャストケージも、小型化にあたって結構形状が変わっています。最近はずるminiとしてガシャポンで発売されているものが同じようなデザインですね。

*5:このあたりのエピソードは、アキオ・ヤマモトさん(仕掛屋定吉さん)自らが動画(キャストパズル設計の思い出話 - YouTube)で語っています。

*6:もっともこの世には恋模様に例えられていないものの方が少ない気がします。